偶然

偶然ってあるじゃないですか。

山手線に乗ってて、池袋駅で降りたら、池袋駅から載ろうとした友達と出くわす。同じ時刻、同じ車両の同じ扉で。


「丁度そこに階段があったから」という、確率を高める要素があったものの、僕はそこに階段があることを知らなかった。


これを抜き取って、「偶然」と呼ぶんですけど、かといって、一個隣の扉にいたかもしれない確率、一両隣の車両にいたかもしれない確率、もっと言うと、その瞬間、部屋でテレビを見ていたかもしれない確率も同じなわけです。
全部で100通りあったとしたら、全部1/100なわけです。


そのうちひとつを偶然って呼んでるだけで、毎朝見ず知らずのどこかのおじさんと、電車の扉際で交差している、その確率でさえ、相手がおじさんなのか友達なのかの分子の違いだけで、同じなわけです。


そう考えると人間が偶然と思う瞬間は、人間にとってわかりやすい形で目の前に現れた時だけで、実は、ただ脳の中で決定されていることに過ぎないと言えるんです。


分子に意味付けをして、1/100の偶然と99/100の必然の二通りだけにしてしまっている。


と、そう分析したところで偶然にドキッとさせられちゃうんだよねぇーなんでだろうねぇ。